家の記憶 [ニュースレター:四月号] / by kaz yoneda

夫婦で一軒家を買った。築30年を超えた、ハウスメーカーによるカタログ住宅である。決して理想の外観でも内観でもなかったが、近くに公園があったり、小さな商店街があったり、東京23区内の(我々に手が届くような)戸建ての割には景色がよかったりして、建物は変えられても立地は変えられないなと思い、即決した。

家探しのきっかけは、コロナ禍だった。会社勤めの夫も自営業のわたしも、自宅にいる時間が圧倒的に長くなり、どちらからともなく「ソファがほしいね」という会話になった。しかし同時に、いまの賃貸のままインテリアを揃えてもよいのか、という疑問もあった。そんな順番で、2020年の春すぎから家探しを始め、9月に今回の物件に出会った。もともとは戸建てにこだわりはなく、マンションもずいぶん見たけれど、犬がいることや、日当たりや隣近所との距離感を気にしていると、ほとんど候補がなくなってしまった。

最初からリノベーションを前提に考えていたので、見た目の部分はそこまで気にしていなかったが、住める家を更地にするのも忍びないのもあり、建築家の友人に依頼して内装だけ変えることにした。前号の『賞味期限30年の建築』にもあったように、日本は新築需要があまりに高く、住宅投資に占めるリフォーム投資の割合は2014年時点で28.5%にとどまっているが、イギリスやドイツでも50%以上、ドイツにいたっては73.8%になっている*1。35年ローンを払い終えたら更地にするような、スクラップアンドビルドがいまだに日本で主流というのは、環境負荷も大きいし、なんとも物悲しい。子供の身長を記録した柱のキズなどなくても、家には誰かの記憶がある。もしかしたらこの記憶が、これまでの日本人には不要だったのかもしれないけれど。

家を買うのは初めてだったので、契約のときに渡された書類の束も目新しかった。特に目を引いたのが、旧土地台帳。明治の半ばから昭和20年代頃まで使用された、その土地の所有者などの情報を記録した台帳で、今でも各地の法務局で閲覧できる。渡された台帳の写しに記された、最初の人物の苗字が歴史の授業で馴染み深かったので検索したら、その子孫だった(Wikipediaまであった)。少し調べたら、周囲の土地の多くも彼らの一族が所有していたらしいので、実際にここに暮らしていた可能性は高くないけれども、もはや昭和の面影などない町並みから、明治時代に生まれた人々の存在をふいに意識させられた。その後をまとめた土地謄本には、一つ前の家主の情報まで記されている。ここに我が家の名前も追記されるのかと考えると、昭和の初めから続く土地の記録に参加できるようで感慨深い。

隣の家には90歳を超える方が住んでいて、謄本にも残らない話を覚えている。最初はキッチンが一階にあったけれど、その後三階に移ったことや、一時期は美容院だったことなどを知った。30年足らずで持ち主が数人変わっているけれど、そのたびに少しずつ改築されてきたらしい。住居以外の用途も多そうだった。しかし今回は、わたしたちの住処になる。

ニスの剥がれきったフローリングや、黄ばんだ壁のクロスを全て新調し、ユニットバスを設え、キッチンや洗面台は造作してもらった。照明器具やソファなど、インテリアも今回の家のために揃え直した。建築家や施工業者の方々と話しながら、家は少しずつできていく。想像以上に、家は手作りである。外装や骨組み以外、ほとんど残らないほどに手を入れたので、簡単な作りならば新築が建つのではないかと思えるほどの費用がかかったけれども、引き継ぐ感覚というのは、なかなかおもしろい。

実は、この文章を書いているのは引っ越す前のマンションの一室で、今週が引き渡しである。夫婦ふたりと小さな犬で暮らし始めるつもりの家だったが、期せずして、引っ越し直後に住人がもう一人増えることになった。家探しの最中には予感すらなかったけれど、契約やリノベーションの間にすくすくとお腹の中で育った小さな人間は、人生の一歩を張り替えたばかりの桐のフローリングで踏み出す。小さな記憶がまた家に刻まれることになるのだろう。なるべくならば、白い壁に落書きはしないでほしいけれど。

-角尾舞
デザインライター/キュレーター。東京を拠点に、メディアでの執筆やコピーライティング、展覧会企画等をしている。
www.ocojo.jp

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今月から角尾さんが産休に入られます。Bureau 0-1の皆から、無事にご出産されることを心よりお祈り申し上げます。今月の寄稿は、角尾さんがまたこの月刊に戻ってくるまでの締めくくりとして企画したものです。大変興味深い寄稿になっているのではないでしょうか。
皆様、 お読みいただき、どうもありがとうございました。

来月は前回のアンケート結果をふまえて、『二つのオリンピック・ミラージュ』をお送りします。また次回!

-カズ・ヨネダ


編集:出原日向子
英語監修:テランス・レジェテー